ユーラシアを歩く会
1996年9月22日~2011年11月13日
ユーラシアを歩く会とはイギリスから日本までユーラシア大陸をリレー形式で歩く会である。
私が歩いた区間では途中に山や森、川べり歩きを取り入れたので、
アプローチの長いトレッキングと考え、ここに加えた。


ユーラシア大陸(西部)

ユーラシア大陸(東部)

ヨーロッパ区間

韓国・日本区間

   ベルギー~ルクセンブルグ
     1997年4月20~23日  ブリュッセルから歩き始める
         4月24~26日  ミューズ川・レッス川を歩く
         4月27日    アルデンヌの森を歩く
         4月28日    ベルギーの分水嶺を歩く
         4月29~30日  ルクセンブルグを歩く
   ルーマニア
     1998年7月29日~8月1日 セベリンからカラファトへ
   グルジア(ジョージア)
     2000年9月5日~8日  グルジア(ジョージア)横断歩行・前
         9月9日~15日 グルジア(ジョージア)横断歩行・後
   中国
     2009年9月22日~25日 中国東部・秦皇島から海城市へ
   韓国
     2010年3月26日~31日 亀尾市から慶州市まで歩く
         3月29日    八公山トレッキング
   日本
     2010年3月22日~24日 城崎温泉から福知山(上)
         3月25日~26日 城崎温泉から福知山(下)
     2011年9月27日~29日 中山道・鳥居峠越え
  *******************************************
ユーラシアを歩く会とは
1995年の東京都立大学ワンダーフォーゲル部(以下略してワンゲル)の創立40周年のOB会の際にワンゲル1期の藤田一郎さんが「定年をむかえて時間に余裕ができた者も多いし、皆でロンドンから東京までリレー形式で歩こう」と提案した。その趣旨に賛同したワンゲルOB約60名が「ユーラシアを歩く会」を作り、歩くルートや会則を決め動き出した。会員は実際に歩く者、事務局、会費だけ払う者、年に数回開かれる会合(半分飲み会)を楽しみにする者と関わり方は様々だった。歩く以外にも年数回会報の発行、写真展の開催、写真集「ユーラシアの風景とそこに生きる人々」発行、600頁のエッセイ集「ユーラシア大陸横断徒歩20000kmの旅」発刊、ホームページ開設等も行った。多くの人が楽しみながら関わり、15年間皆で楽しく遊ぶ事ができた。藤田先輩に感謝である。
歩き方は事務局がイギリスからトルコまでを約100km程の区間に分ける。例えば第2区:カレー~ブルージュ、第3区:ブルージュ~ブリュッセルのように決める。会員Aは自分の歩きたい区間を申し入れて同行者を募る。区間内の歩行経路、日時、費用等は全てAが自己責任で行い、計画書と歩行後に報告書を提出する。トルコ以後の旧ソ連諸国、中国は道路や宿、安全面の情報の入手が難しいので、10名程で渡航し昼間は2名程の組に分けて歩き、夕方車で宿に集める方法で安全に効率よく歩いた。中国以降の韓国、日本は又ヨーロッパ方式で歩いた。
ユーラシアを歩く会のホームページ

歩く会と私
私はワンゲル7期で1995年当時は55才、定年にはまだ間があったが藤田さんから自筆の手紙を何通か頂き、参加をきめた。1996年9月にロンドンのグリニッジ~ドーバー間の歩行でユーラシアを歩く会の歩行が始まった。私の初めての歩行は1997年4月の第4区、第5区のブリュッセル~ルクセンブルグ200kmである。当時は体力に自信があったので一度に2区間歩こうと張り切って挑戦した。しかし、体力的には問題なかったが道路を200km歩くのは精神的に厳しく、しばらく道路を歩く気にならなくなり、3か月後に予定していたハンガリー歩行はキャンセルした(森さん、ごめんなさい)。
私が歩いた区間(上記地図の番号。正式な報告書のSNoの区間番号とは異なる)
 4区 ベルギー ブリュッセル~マルシェ・エン・アメン 107km 97.4.21~4.29 安藤・塩野
 4区 ベルギー、ルクセンブルグ   ~ルクセンブルグ駅  106km 97.4.21~4.29 安藤単独
 21区 ルーマニア セベリン~カラファト(ヴィディン)     110km 98.7.27~8.2 安藤単独
 (注)カラファトから国境のドナウ川を渡ったブルガリア側の町がヴィディンVidin
 34区 グルジア(ジョージア) トルコ国境~アゼルバイジャン国境 646km 
                  2000.9.3~9.18 石塚、土屋、和田、新井、荒井、安藤
 49区(前半) 中国 秦皇島~海城市 354km 2009.9.22~9.25 安藤・他14名       
 52区 韓国 亀尾(ぐみ)~慶州 114km 2010.3.26~3.31 安藤単独
 62区 日本 城崎温泉駅~福知山駅 70km 2011.3.22~3.26 安藤単独
 67区 日本 木曾福島関所~下諏訪駅 58km 2011.9.27~9.30
                安藤、小磯、木村、山田、丸茂、伊藤(喜)
 71区 日本 目黒区・旧都立大学八雲正門跡~日本橋 14km 2011.11.13 安藤・他50名 
 
15年かかってロンドンから日本橋まで1万6千kmを皆で歩き終えた。(北朝鮮を除く)
何処を歩こうか調べる楽しみ、歩行計画を建てる楽しみ、未知の土地を歩く楽しみ、歩行後の写真等の整理の楽しみ、歩行終了後10年経って自分のHPに書く楽しみ、歩く会のお陰で本当に楽しい時間が過ごせた。
2000年から2009年の間の歩行に私が参加出来なかったのは、この間の歩行は旧ソ連と中国で、治安問題、ホテルがすくない、情報が乏しい等の理由で集団で歩いた。歩いた季節は春か秋で私はまだ現役で、その季節は長く休めなかったので、パスした。その間も会合には欠かさず出席し英気を養った。一方、その間カナダやニュージーランドへトレッキングに出かけこのHP(世界をトレッキング)の基礎が出来た。2009年にやっと定年になり、中国の最後の歩行に参加で来た。

私の歩く会の歩行は単独行が多かった。その理由は1.皆が手を上げない人気のない区間を希望した。2.1人で歩いても苦にならなかったので、積極的に同行者を募らなかった。67区の6人は私のワンゲル同期でこの時だけ積極的に同行を働きかけた。
何時の日か北朝鮮を歩ける日が来たら是非とも歩きたいものだ。


 1996年ロンドンのグリニッジ     2011年11月13日午後東京・日本橋に到達した

   トップページ   へ戻る