城崎温泉から福知山へ(下)
2011年3月25~26日




3/25:(宿の位置は天橋立の北側付け根付近)出発前にケーブルで傘松公園に行く。あいにく曇り空だが、高台から見る天橋立はやはり絶景である。また、股のぞきで見ると、空が下にあり松林が天にかかる橋のように見え、絶景度が何割かアップするらしい。これでやっと日本三景を制覇したが、股のぞきの効用か天橋立がピカイチのように思える。
大江山ははるか彼方にみえるが、今日の目的地はその麓であり明日は岳人になりその山頂に立つ予定である。
しかし、今日は文人ゆかりの宿に泊まる予定なので、にわか文人になる事にする。
早速ここで一句うかぶ、「股のぞき 橋の手前か 大江山」 なら、大江山にすぐ着くのだが。
宿近くには丹後一ノ宮、元伊勢・篭(この)神社という何やら格式の高そうな神社があったので参拝。
 
ケーブルにて、海と空の間にあった天橋立がだんだんと海の真ん中にくるようになる


天橋立。やはり絶景である。    右、阿蘇海(内海)。左上、宮津湾(若狭湾)

 
股覗きで撮ったもの                     赤丸が大江山

   
篭(この)神社、菊の紋章入りの垂れ幕         篭神社拝殿

8 時 45 分 歩行開始。すぐに天橋立を渡り始める。天橋立は宮津湾と阿蘇海(内海)の間の幅 50m、長さ 4km 弱の砂州である。15 世紀に雪舟が描いた「天橋立図」を見ると阿蘇海への開口部は広く、橋には見えない。現在のような形になったのは江戸時代とのことである。大阪夏の陣で戦死した岩見重太郎の若い頃の仇討の場が天橋立にあったところをみると、17 世紀には橋になっていたのかもしれない。
9 時半、天橋立を渡り終える。もう少しゆっくり歩いて松林の中の遊歩道を楽しみたかったが、ついいつものペースで歩いてしまう。宮津市内を通り府道(京都には県道は無い!)9 号沿いの大江山の麓を目指す。
10 時半 今日の宿、清輝楼の前を通ったので荷の一部を預ける。
 
9:00 天橋立を渡る、 外海(若狭湾)側        9:00 内海(阿蘇海)側

 
9:00 立派な歩道もある                  9:20 所々に名所がある

 
9:40 大天橋(天橋立には2本の水路があり、橋がある) 9:40 2つ目の橋を渡ると天橋立を渡り終える

 
9:40 天橋立の北側には知恩院という古刹がある 知恩院山門  9:40 多宝塔(重文、室町時代)

 
10:10 天橋立を北側の外海側から見る            10:40 宮津市の市街地に入る

 
10:40 神社、寺の後に教会があった、宮津教会聖ヨハネ天守堂  10:40 和貴宮神社、京都府最古の狛犬 
    日本で2番目に古いカトリック天守堂
 
11:40 宮津市の町外れ               11:45 公民館と職員
  
11 時 45 分~12 時半:上喜多の公民館で昼食。3 人の職員にユーラシア・ワンの事を話すと、早速ネットでワンゲルの H.P にアクセスしてくれ、つい長居をしてしまう。また、公民館で頂いた普甲峠の古道マップは午後の歩きに非常に役立った。公民館をでると府道 9 号は標高 400m の普甲峠への登りになる。府道沿いに良く手入れされている古道があり、古道マップを片手に歩く。峠手前の 30 分は石畳の上に雪の残る道となる。
 
12:50 山里に入る                 13:10

 
13:20 いよいよ普甲峠への登りが始まる        13:30 あの扉の向こうが古道入口

 
13:40 土の道はいいな~と思っていると        13:50 古道らしく石畳になり
 
13:50 橋を渡り         13:50 雪道を歩き         14:00 また石畳を登ると普甲峠

14:10 普甲峠(大江山スキー場)。ここで、私がこれから向かう古道を来たハイカー10 人ほどと出会い、情報を仕入れる。峠からの下りの古道にはいると、途端に残雪が多くなる。杉林の丈も高くおまけに小雪も舞い出し、薄暗くなる。
古道が残雪に隠れて分かりにくい所もあるが、雪は堅くハイカーの付けたトレースが安心感を与えてくれる。30 分ほど歩いたところで府道に出たので、以後小雪舞う中、府道を歩くことにする。明日は大江山登山の予定だったが、天候が思わしくないこと、今年は残雪が多そうなことを考慮し、登山は諦めることにする。大江山に登ろうと思ったのは百人一首の 「大江山 いく野の道の とほければ まだふみをみず あまのはしだて」を覚えていたからである。そこで、登山の代わりに一首読む。「橋立を ともに渡りし 春風よ まだ雪かたし 大江の古道は」。分かれ道では酒呑童子が「大江山はこっちだよ、うまい酒もあるよ」と手招きしていたが、大江山は諦め、今夜の格調高い文人の宿で酒を飲むべく歩く。
16 時、タンゴ鉄道大江山口内宮駅(おおえやまぐちないくえき)手前 2km の平神社からバス、鉄道と乗り継いで宮津市まで戻り、元禄年間創業で野口雨情、河東碧梧桐などの文人、墨客に愛された宿、清輝楼を今夜の宿とする。というわけで、この夜は岳人から文人となった訳である。部屋に飾られた墨跡を肴に酒を飲むが、そちらの素養がないためチンプンカンプンで酒のまわりが早かったようだ。

 3/25 歩行距離:約20km

 
14:10 普甲峠(大江山スキー場)2月まではスキーが出来たようだが今は雪は無し。2005年にはスキー場閉鎖

 
14:30 峠からの下り、雪は多い            14:40 

 
15:40 大江山?                     15:50 分岐に立っている分鬼(酒呑童子)

 
17:30 今夜の宿、清輝楼                 酒のせいか字が曲がって見えた

     ・・・・・・・・・・                ・・・・・・・・・・

3/26 9 時 45 分、昨日はバスで 5 分の所を、徒歩で 40 分かけて戻り、昨日の終点、平神社から歩きはじめる。夜中に雪が降ったようで、朝のうち樹は雪化粧をしていた。
10時 天岩戸神社
10時半 (元伊勢神宮内宮)皇大(こうだい)神社:伊勢神宮が現在の地に鎮座する前には各地に遷座したらしいがその1つ。天岩戸神社や3/25朝に参拝した籠神社もその1つ。
峠を下るにつれまた人家が増えてくるが、府道 9 号とは別に生活道路がある所が多く、安心して歩ける。
 
9:00 タンゴ鉄道の車窓より、夜の間に新雪が降ったようだ   9:10 大江山口内宮駅
 宿の墨絵の続きを見ているようだ
 
9:40 青い壁の家辺りが昨日の歩行終了地点(バス停)  9:45 歩行開始地点は山の中の山村、春の淡雪はもう
                              消えている
 
10:00天岩戸神社

 
10:00                       10:20 氷室ヶ岳遙拝所 皇大神社奥の院

 
10:30 皇大(こうたい)神社、茅葺の本殿
 
 
脇宮と龍灯の杉(樹齢2000年の御神木)       10:40 境内から村落を見る 

 
10:40 山間部から平野に入る            11:10 村落のある所は県道、国道は迂回している
 
12 時 国道 175 号に入る。時折雪が舞い散る中をひたすら歩く。福知山市内に入ってから駅までが長く感じた。
15 時 50 分、福知山駅に到着、歩き終える。写真を撮り、3 分後には特急に飛び乗る。
10 時半、自宅着。
参拝した社寺。1.天岩戸神社 2.(元伊勢神宮内宮)皇大(こうだい)神社 3.是社(これこそ)神社
 
14:20 是社(これこそ)神社、休憩には神社、寺が良い

 
14:30 国道を暫く歩く                14:50 由良川の堤防上の道を歩く  

           
15:00 福知山市の市街地が見えてくる            15:50 歩行の目的地、Jr福知山駅到着

今までのユーラシア歩行は海外だったので、あまり寄り道をせず歩いたが、今回は日本という事でおおいに寄り道を楽しんだ。まず海岸線を20kmほど寄り道し、久美浜湾と天橋立で海の中道を歩き、雪の峠道を2か所踏破した。歩く以外でも、食通になり蟹を満喫、科学者として東経135度を確かめ、文人として俳句、和歌を楽しみ、古社寺をた尋ね、岳人として大江山登頂を計画したが、悪天候で断念した。長い県道歩きは退屈だが充分楽しめた5日間だった。

今回の歩行距離:ユーラシア歩行事務局案は最短距離付近の国道、県道を歩いたとしての距離で70kmだが大分遠回りをした。そこで、実際に歩いた距離は寄り道として正確には測らず概算で示し、公式には事務局の示した70kmを用いる事にした。
 3/26 歩行距離:約18km  5日間合計歩行距離:約96km   公式の合計歩行距離:70km

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