中山道・鳥居峠越え
2011年9月27日~29日
70才を過ぎたワンゲル7期の6人がユーラシア歩行で鳥居峠を越え中仙道を60km歩いた記録 |
中仙道(木曾福島駅~下諏訪駅) |
**私のワンゲル同期(7期)の仲間にもユーラシア・ワンに参加してもらおうと計画し参加者を募った所、6名で歩く事になった。ただし、普段運動不足の人が多いので通常100kmの区間を2つに分け、約半分の距離にしてもらった。中山道は歩く希望者が多く、残りの半分の区間も直ぐに希望者が現われた。
歩く区間は中仙道の木曾福島関所跡から鳥居峠を越え下諏訪駅までの58kmである。 歩行メンバー(ワンゲル7期) 伊藤 喜文 小磯 信夫 木村 紀穂 丸茂 敞一 山田 則義 安藤 潔(リーダー) 2011年9月27日9時45分、木曽福島駅に遠く関東から小磯、山田、安藤、地元の茅野市から木村、軽井沢から丸茂、(桑名の伊藤は明日参加)の70才を過ぎたワンゲル7期の面々が馳せ参じた。ここから中山道を下諏訪の宿まで膝栗毛しようというのである。空は快晴、気温20度、歩くには最高の天気である。先ずは正式な出発地、福島関所まで足慣らしである。 9:45木曾福島駅より旧交を温めながら歩き始める。10:45 今回の歩行の正式な出発地点、木曾福島関所跡 左より木村、丸茂、小磯、山田、安藤 皆元気一杯である 皆思い思いに関所跡を後にする 11:00関所門通過 関所跡で記念撮影、気勢を上げて?膝栗毛が始まる。本格的な歩きを共にするのは50年振りである。中山道(木曽路)はほとんど国道とは別になっており、車が通らないので昔話をしながら歩ける。歩き始めると間もなく、友は数時間前に会った顔ではなく50年前の顔になり、名は呼び捨てになっていた。不思議なことに半世紀の時は消滅していた。 11:50 小さな橋を渡る こんな場所もあった 12:00中山道(508km)の中間地点 13:40 宮ノ越宿の木曾義仲の菩提寺、徳音寺で休憩。まだまだ皆元気である。 14:20 巴ヶ淵 14:40 トンネルを避けて昔の国道跡も歩く 巴御前ゆかりの巴淵を過ぎると木曾谷は狭くなり、国道の測道を歩くことが多くなる。最後の4kmは皆黙々と歩く。 15:10 木曽川と国道19号しかない山間部 16:10藪原駅前の今夜の宿、勇屋旅館に到着。丁度良い所に宿があった。5人全員が1日目の全行程14kmを歩き通した。18時より楽しい宴会が始まる。 ******** ******** 9月28日7時40分、4人で宿を出発。難関の鳥居峠越え(標高差250m)ということで小磯は峠の向こうの奈良井で合流予定である。今日も快晴、気温も低く歩きやすい。 7:40 バラバラのラジオ体操後、今回の歩行最難関の鳥居峠に向かう 7:50 早朝の藪原宿を通過 8:08 家並が無くなり登りが始まる 8:11 砂利道になり 8:13 急坂の石畳道になる 8:21 土の登山道になる 8:22 陽が射してくる 8:25 木漏れ日の道、皆快調だ 8:39 昨夜の宿、藪原宿が眼下に望める 8:46 水場 8:52~9:00 御嶽神社(御嶽遙拝所)で休憩。ここが鳥居峠の最高地点1250mである。 峠近くの鳥居のある御岳遙拝所からは御嶽山と中央アルプスがくっきりと見えた。写真映りは良くなかったが。 どれが御嶽山かな? 9:10 鳥居峠、休憩無しで下山開始 9:25 9:28 皆老いたりといえども元ワンゲル、予定より早く、足音高く元気に峠を越える。峠からは当然下り坂である。歌の一つも飛び出すかと期待したが、聞こえてこなかった。7期は小畠が居ないと歌が出ないのを思い出す。 鳥居峠1197m:江戸時代、中仙道の難所だった。分水嶺でもある。峠の東側に降った雨は奈良井川になり、最後は信濃川となって日本海に注ぎ、西側に降った雨は木曽川となり太平洋に注ぐ。 9:55 道しるべ 10:07 奈良井宿に到着 小磯と伊藤に再会 山道が終わり奈良井宿にはいる。ここで、小磯と桑名市から駆けつけた伊藤喜文が合流、奈良井宿の土産物屋をひやかしながら、旧交を温める。しかし、伊藤は体調不良ということで奈良井宿の端から端まで歩いただけで帰宅するという。きっとユーラシアを歩いた仲間で最短距離を歩いた男、となるだろう。 10:09 記念撮影、左より丸茂、木村、小磯、安藤、伊藤、山田 10:19奈良井宿を歩く 10:56木陰で談笑 11:00 奈良井駅で伊藤と分かれる 11:15 奈良井川沿いの道。木曽川とは逆方向に流れている 13:13 漆器の町平沢では土産に箸を求め、道の駅「ならかわ」ではゆっくり昼食をとる。この辺も中山道と国道はたまに交差する程度で別になっている。 13:55 まだ皆笑顔だ 15:00 桜沢の「是より南 木曽路」の碑 16:30宿に到着 桜沢にある碑の所で休憩、木曽路が終わり信濃路?が始まる。碑を過ぎると山が遠ざかり、行く手には塩尻盆地が広がる。この日も15時を過ぎると口数は少なくなり、黙々と歩く。 16時30分、洗馬宿近くの民宿、千倉着。歩行距離は24km。この日の夕食は茸づくし、茸がいやというほどでた。おかげで翌日は大きい方がいやというほど出た。 木曽路:中仙道の内、贄川宿から馬籠宿までの11宿の街道の事。 ******** ******** 9月29日8時、洗馬駅近くの宿より安藤、木村、丸茂が歩き始める。今日も快晴。小磯と山田は車で出発し、塩尻峠から合流予定である。今回の歩行は木曽福島から下諏訪まで通して歩くが、体調不良の場合は自己申告で列車、車(山田の車)を利用している。 8:20 洗馬宿の道しるべ 8:30 水場 8:40 洗馬の外れ 8:45 洗馬宿を出ると平野になる 9:00 薄っすらと常念岳が見える 洗馬宿を過ぎると塩尻盆地に入り、左手に常念岳らしき高山が見える。 9時、これまで北へ向かっていた中山道が東に向かうようになり、常念岳は後になる。道の両側はブドウ畑、早速1パック購入し休憩のたびに食べる。しかし、よく見ると収穫後の木に取り残しの粒がちらほらある。帽子を直す振りをして手をのばし、口に運ぶ。美味い。ザックには購入したブドウがあるからと言い訳を考えながら。 9:50 耳塚(神社) 10:20 10:30 10:30 塩尻宿本陣跡 10:50 塩尻宿の外れは立派な屋敷が多い。 10時頃から塩尻峠の上り(標高差300m)が始まる。鳥居峠より標高差はあるが、傾斜は緩く、舗装路なので苦にならない。 12:30 家並がなくなると緩い登りとなる 12:50 東山一里塚 13:05 そろそろ塩尻峠? 13:10~45 塩尻峠より諏訪湖方面 塩尻方面 塩尻峠1012m。塩尻峠は分水嶺でもある。今回の歩行では2回も分水嶺を越えたことになる。峠からは歩きの目的地、下諏訪の町と諏訪湖が手に取るように見渡せた。ここからは5人全員であるく。また、途中信濃毎日新聞社の取材を受ける。 13:50 信濃毎日新聞社の記者と 13:55 塩尻峠を下る 14:10 諏訪湖が近くなる 14:20市街地に入る 14:50 15:00 もうすぐ目的地 15:15 目的地、下諏訪駅着 9/29の歩行距離20km、全行程58kmを完歩した。7期メンバーでの最後?のワンゲル活動は成功裏に終わった。感激する暇もなく木村が設定した地元新聞社数社の取材を受ける。このうち信濃毎日新聞と長野日報の30日付け朝刊には写真入りで我々のことが掲載された。 18時、下社秋宮境内にあるホテル山王閣で無事歩き終えた事を祝して乾杯。乾杯には静岡から綾部(7期、ロンドン~ドーバー間を歩く)が駆けつけてくれた。年令と疲労のためか酒量は少なかったが、道中の話題、昔話に花が咲き、また、ロンドンーー>日本橋の鎖の一環となれたことを祝い、11月13日には日本橋で再会することを誓った。 9/30 長野毎日新聞の朝刊 長野日報の朝刊 ユーラシアを歩く会 へ戻る トップページ へ戻る |