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プーンヒルへ
プーンヒルPoon Hill(3198m)
1992年2月28日~29日 |
プーンヒルはゴレパニGhorepaniから1時間程の高台。日の出の美しさとアンナプルや ダウラギリの展望台としてトレッカーの目的地の1つである。 |
写真について:ネパールに行ってからこのホームページを書くまでに30年程の月日が経っているので、写真は変色していた。そこで、色々試した結果2種類の写真を使っている。 (A):当時のネガフィルム(適当に放置していた)を最近業者に依頼してデジタル化したもの。フィルムにカビが発生したようで黄色に変色したものが多い。変色の程度は色々。 (B):当時印画紙に焼き付け、アルバム(セロハンカバー付き)に張っていたものを最近プリンター(キャノンピクサスTS8030)のスキャン機能を使って自分でデジタル化したもの(解像度600dpi)。(A)に比べて変色は少ないが、物の形にシャープさが欠けるように見える。 写真の修正機能は不案内なので、(A)(B)とも明るさとコントラスト程度の修正にとどめた。 『2/28 7時タトパニ出発 15時半、プーンヒルの麓のゴレパニ到着。泊:スーパービューホテル カリ・ガンダキ川を離れ、一日中山の中腹のゆるい登り道。この道はタトパニ方面からポカラに行く最短距離の道なので、歩いている人は多いが、ゴレパニまでは標高差が1700mもあるので、8時間以上かかってしまった(直線距離:約13km)。新しいポーターG氏(名前:デラモァナ)とは2日間の契約だったが、是非にと頼まれ最後まで(7日間)雇うことにした。 (A) 黄色に変色している (B)こちらのほうが実際の色に近いようだ タトパニを出てすぐに長い吊橋を渡る。6日間傍らにあったカリ・ガンダキ川とはこの橋の所でお別れだ。 (B)ダウラギリとツクチェピークが遠くなり標高も高くなる。 (A)ポーターF氏(デラモァナ) 『2/29 6時半プーンヒルへ:ゴレパニから標高差350m程を1時間弱で登る。快晴無風。朝日に輝くアンナプル、ダウラギリ、マチャプチャレが壮観!!しかし、今日は先が長いので泣く泣くプーンヒルを後にする。 アンナプルI峰 アンナプル南峰 マチャプチャレ (A) 夜明け前のプーンヒルより (B) マチャプチャレの右から日の出 (A) 日の出 日の出直後 (A) (B) (A)と(B)どちらが良い? ダウラギリとツクチェピーク (B) (A) プーンヒルにて (A) (B) 6:30ゴレパニ2853m~プーンヒル3198m~8:15ゴレパニ2853m~10:00デオラリ峠(Deorali)3103m~12:00~13:00タダパニ(Tadapani)2721m~トレッカーがあまり歩かないGurjung経由の近道 ~16:30チョムロン(Chomron)1951m プーンヒルから下山し大急ぎで用意の後8:15出発。予定ではガンドルンGhandrungで泊まり、明日チョムロン方面に行くつもりだったが、ポーターG氏が途中のタダパニから直接チョムロンに行く近道を知っていたので、私の地図に無い道を行く。半日、いや一日得をした感じである。プーンヒルとデオラリ峠への登り(計700mほど)以外は下り基調(計1300mほど)で快適に歩く。 風景はこれまでの荒涼とした感じから、どこも山の上まで畑と家がある農村地帯。きっと何百年もかかって造り上げてきたのだろう。現在は人も居て畑も耕されているが、道路が出来文明が押し寄せて来たとき、段々畑は何時まで残っているだろうか。人間の最も重要な仕事は農業であり、食べるものさえあれば生きていける。日本人の求めるマンション、車、冷暖房、高等教育、国際的ビジネス、旅行、どれも無くても食べ物さえあれば生きていける。何時か世界的食料難になった時、この段々畑が機能していれば良いのだが。』 宿のあるゴレパニから見ると山は高く見える。 (B) ゴレパニ村 (A) ダウラギリ ツクチェピーク ニルギリ アンナプルI峰 アンナプル南峰 Deorali峠付近よりパノラマ写真のつもり(少し隙間が空いてしまった) Deorali峠付近 休憩所 (A) 雪が残っている場所もあった (B) 途中のタダパニ村の案内板 森の中の道 (A) 標高が下がると畑と家がある (B) 山の斜面に段々畑、空の上まで続いていそうだ。 (B) アンナプルナB.C.(上) へ行く マルファからタトパニへ へ戻る トップページ へ戻る |