岐阜県編Ⅱ
東海自然歩道と寄り道登山
2023年6月17日~2023年11月2日

2023.6.17   横蔵寺~日坂村  17.7km
2023.6.18  日坂村~六合・滝  18.4km
2023.10.31  六合~垂井町   19.1km
2023.11.1  垂井町~牧田一色  22.0km
2023.11.2  牧田一色~養老の滝 14.5km
岐阜県Ⅱ 5日間合計歩行距離    91.7km
岐阜県の東海自然歩道合計歩行距離  150.0km

2023.6.17 朝、宿の主人に岐阜県揖斐川町の横蔵寺(よこくらじ)まで送ってもらう。横蔵寺は1817年に自然にミイラ化した妙心法師の遺体のあるミイラの寺として有名である。2021.4.10に華厳寺から妙法ヶ岳を越え横蔵寺まで東海自然歩道を歩いた際にミイラに対面したのでこの日は横蔵寺の本堂、五重塔等を参拝した。岐阜の片田舎にしては立派な寺である。

今回は横蔵寺~東津汲(ひがしつくみ)~日坂までの東海自然歩道を歩く予定だが、横蔵寺から東津汲の間は下辻越え付近が通行止である。強行突破している記録もあるが、80過ぎの私は無理は禁物。迂回路を行くことにするが、迂回路の指定がないので、自分で決めた。
迂回路は横蔵寺から乙原まで県道を行き、乙原から東津汲までは国道を行くというもので、途中に乙原トンネル(0.4km・県道)と久瀬トンネル(2.1km・国道)を通る。迂回路10.1kmの1/4がトンネルというユニークなものとなった。
  
9時前、横蔵寺から県道を歩き出す。この日は梅雨の晴れ間で気温は30度を超えるという予報であり、道路歩きには暑さが大敵となる。
10時頃乙原トンネルを通過。トンネルの歩道は1m程だが交通量が少なくあっという間に通り抜ける。
10時半、久瀬トンネルに入る。そろそろ暑くなってきたところだが、トンネルに入ると途端に涼しくなる。トンネルの歩道は2m程、車の交通量は多いが車道側には手摺まであり、安心して歩ける。しかし、しばらく歩いているうちに気が付いた。確か、自転車は歩道通行と書いてあった。今日は土曜日で朝からサイクリング車と何台も出会っている。

私の経験(昔、自転車遍路をした)では自転車でトンネル内の歩道を走るのは危険で、歩行者にまでにまで注意が行き届かない。と言うことはトンネル内歩行者の大敵はサイクリング車となるので、これは注意が必要と、対策を考える。まず早めに自転車に気ずき、避ける必要がある。前から来る自転車は問題ない。後ろから来る自転車が問題である。自動車の騒音で自転車の音はまず聞こえない。後ろを振り返り、自転車が来ないことを確かめる必要があるがその頻度が難しい。そこで、トンネル内の200mごとに置かれている非常電話の所に来た時、後ろを振り返る事にした。トンネル内での位置もわかり、我ながら良い思い付きである。
最後から2つ目の非常電話の所で振り返った瞬間、まじかに迫る自転車に気が付き、壁際に避ける。自転車の人も私に気が付いていたようだ。一瞬ヒヤリとしたが用心が役に立った。トンネルを抜けると暑さがじわっと襲ってきた。

午後は東津汲から日坂まで正規の東海自然歩道(県道)を、暑い中雨傘を日傘代わりに歩く。雨傘の日陰も木陰も同じように暑さを防いでくれると思っていたのだが、木陰の方が何倍も涼しい事を発見した!!
11時半 東津汲
14時 日坂越え分岐で東海自然歩道を離れ、今夜の宿、栃の実荘へ向かう。
15時半 栃の実荘着。途中立ち寄り湯で汗を流したが、宿まで今日一番の登りがあり、また、汗をかく。
 栃の実荘は町営の宿で、安く清潔で風呂も綺麗だが一人の場合は食事なしなのが玉にきずであった。
 
8:30 横蔵寺・仁王門                   三重塔

 
 本堂                        横蔵寺への参道

 
 8:50 横蔵寺のある神原集落:自然歩道の迂回路へ   9:20 横蔵寺のある谷

 
 10:00 乙原トンネルを抜け、乙原集落へ      11:20 久瀬トンネルに入る  

 
 11:00 久瀬トンネルを抜ける。40分かかる。 11:10 東津汲:ここから東海自然歩道に復帰:20分休憩

 
 11:30 東津汲:指導票         東津汲:揖斐川を渡る:揖斐川町を流れているから揖斐川なのだ!?
                        いや!揖斐川が流れているので揖斐川町と名ずけたのだ?
 
11:40 久瀬ダム                     12:20 完璧な道路だが日陰が無く暑い

 
13:30 日坂・下村 日坂村だから暑いわけだ    13:50 ずうーと緩い傾斜の登り坂:日坂村の名の通り

 
 14:00 日坂村から六合への分岐点。ここから揖斐高原の宿へ向かう。    15:30 栃の実荘着。
  途中、日帰り温泉で汗を流す。しかし宿への道は急坂でまた汗をかいて宿の風呂にまた入る。

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2023.6.18 この日の行程は揖斐川町日坂から鍋倉山を越えて春日六合に至る東海自然歩道だが、鍋倉山から春日六合の間は現在通行禁止になっている。しかし、迂回路として鍋倉山の手前の日坂峠から直ぐに県道に出るコースが設定されているので、ここを歩く。

7時半 宿から30分歩いて東海自然歩道の分岐点に着き、日坂の県道から和佐谷沿いの林道に入る。乾いた林道を30分ほど歩くと湿った林道に変わる。一昨日比叡山を歩いている時、山蛭?にやられているので用心して歩く。なるべく乾いた所を歩き、10分毎にズボンの裾をまくりヒルがいない事を確かめる。
8時半 沢を離れ山道に入るが落葉が積もっているのでズボンの裾上げは続行。9時過ぎ、日坂峠に着く。ヒルにはたかられていないようで、10分ほど腰を下ろして休憩する。

日坂峠から東海自然歩道を離れ迂回路に入り、山道を10分も歩くと2車線の立派な県道に出た。日曜日の山奥の立派な県道はオートバイの天国なのでカーブは要注意。
10時 県道を1時間程歩き、道端に座り休憩。ふと時計のバンドを見ると血まみれである。??木にぶつけた覚えはないし、痛くも痒くもない。ティッシュで血をふき取るとバンドの下の皮膚に1mmほどの穴がある。
慌ててズボンの裾を捲ってみるが異常はない。しかし、念のため靴を脱いでみた。!?白い靴下が血で真っ赤である。反対の靴も脱いでみるとこちらの靴下も真っ赤!あわてて靴、靴下の中を点検するがヒルらしき姿はない。99%ヒルに違いないが、姿を見ていないので絶対とは言えない。未知の生物の可能性もある。
3か所もヒル?にやられたが、痛くも痒くもないので手当もせず県道を歩き続ける。
11:40 春日美束集落、家は多いが田んぼは少ない。何で生計を立てているのだろう。
12:30 川合 、緩い下り基調の県道を飛ばし過ぎないように歩く。
13:30 六合・下ヵ流、ここも大きな集落。
14:15 滝集落、揖斐川町営ふれあいバスが来たので、ここで歩行を終え、揖斐駅までバスに乗る。
 
                                 7:40 日坂越え入口

 
 7:50 立派な砂防堰堤                8:10 林道

 
 8:30 林道に水が流れヒルがいそう、用心・用心     8:40 乾いた山道に入る

 
 8:50 山道が暫くつずく           9:20 日坂峠着

 
 9:30 日坂峠から見える県道に向け出発        9:35 県道に出る、日曜日なので車が多い

 
 10:20 ここで休憩、靴を脱ぐと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・両足がこの写真のようになっていた

 
 11:30 美束・寺本、神社の階段で休憩   11:40 寺本、分岐点

 
 12:30 川合集落・橋のたもとのバス停で休憩      13:10 川は広く深くなってきた

 
 13:30 下ヵ流集落、バイパスでパス             14:20 滝集落で今回の歩行を終える

*ヒル対策:今日は10分おきの点検というヒル対策にも係わらずやられてしまった。この対策は効果がないようだ。靴下の中3箇所、時計の下1箇所の被害箇所から見ると裸の皮膚ではなく着衣の下に隠れて血を吸っているようだ。となると、裸で歩けばいいのかな。

*ミイラとヒル:ヒルにやられた所から10km程離れた横蔵寺にはミイラがある。自然にミイラになったとのことだが、日本の他の場所ではそのような話は聞かないのでこの地は特別な場所に違いない。
そこで、閃いた。死の断食に入った法師がヒルの多い山中で座禅を組む。ヒルが次々と法師の体に這い上る。次の日は他の場所に移動する。10日もすると法師は全身の血をヒルに吸われミイラになっていた。
私の血を吸ったヒルはミイラの血を持ったヒルの子孫かもしれない。
*来年以降日坂峠付近でヒルに会った人へ!!そのヒルは私の血を分けた子孫かもしれないので、特別のご配慮いただきたくよろしくお願いいたします。

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10/31 前回歩行終了地点の瑞岩寺近くから美濃国分寺跡までは14km程だがその先は車が入れない道が5km程つずき、梅谷集落に出る。ヤマレコの山行計画・行動予定(普通の人の1.2倍)では10時に出発すると国分寺跡は15時過ぎ、梅谷は16時半の予想となっている。
日が短い今は16時過ぎまでは歩きたくないので、まず、出発時間を早める努力をする。朝自宅から始発電車に乗り、名古屋から大垣までも特急列車に乗ると揖斐川鉄道は20分早い電車に乗れた。揖斐川駅からは前日にタクシーを予約しておいたので出発地点には9時に着くことができた。
またいつもは有名な寺や観光地に立ち寄るのだが今日は極力パスするつもりで歩行する。

瑞岩寺付近から始まる池田山麓の道は基本的に2車線(片側1車線)の立派な県道である。しかし、山麓に作られた道の例に漏れず登ったり下ったりである。先を急ぎたいが、長丁場なのでゆっくりと歩く。この道は平地から20m程高い所に作られているので左側を見ると遠くまで見渡せる。しかし、晴れてはいるが、遠くはボヤっと霞んでいる。名古屋のビルが見えるかと目を凝らしたが、ダメだった。
 
                           9:10 滝集落
 
9:30 瑞巌寺門前。参拝は省略            9:40 右手に北方面の山々を見ながら歩く

 
10:30 池田山麓の道は登ったり下ったり        10:36 

 
11:17 池田山麓の道から北東方向、名古屋市方面   同じく、南東方向

11:20 霞間ヶ渓、12:00 池田温泉道の駅、12:20 円興寺トンネル
東海自然歩道は円興寺トンネルの上の円興寺峠を通るのだが現在通行止め。仕方なく?いや、喜んでトンネルを通る迂回路を行く。これで20分程時間短縮。
円興寺を過ぎ時間の目途が立ったので、梅谷まで行くことにし、円興寺、美濃国分寺を参拝する。14時頃今日唯一の自然の歩道に入る。平尾第二ダム、平尾第一ダムと林道をたどり、最後は10分程山道を歩く。
 
12:30 円興寺トンネル通過             12:50 円興寺

 
13:10 東海道線本線(下り)の線路をくぐる          13:35 美濃国分寺跡


13:45 また東海道線が近ずく            線路下をくぐる

 
14:05 平尾第2ダム                   14:20 ダムの奥は林道

 
14:30 林道が登山道になる             14:45 と思ったら車の多い県道をくぐる

14:45  車の往来が多い県道の下をくぐると遠くに梅谷集落が見え、梅谷集落からは毎時21分に垂井駅行きの町営バスが出ている。余裕でバス停に着くと思ったが、気のゆるみか、地図読みが不正確か、指導票の不備か、道に迷いバス停に着いたのは定刻15:21の5分前だった。
 
14:48                       15:20

最後は少し慌てたが、歩行初日は18kmを6時間で歩き終えた。夕方には大分疲れを感じ明日の体調に不安を感じたが、夕食に猪鍋を食べ、10時間近く睡眠をとった所、翌日には疲れは取れた。

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11/1  今回は3日間で60km歩き、岐阜県の東海自然歩道を終わらせる予定だが、完歩するには二日目(今日)に関ケ原の松尾山を過ぎている必要がある。しかし、松尾山を越えるには約3時間かかり、その間にエスケープ路はない。関ケ原の戦いでは小早川秀秋の布陣した松尾山が戦況を決める重要な役割を果たしたが、私の歩行も松尾山が重要な鍵となりそうである。そのため早朝に宿(垂井町のいのしし亭)の主人に昨日の歩行終了地点まで送ってもらい、7時に歩き出す。
 
                             7:15 左手はずうーと田畑、右手は山が迫って                         
                             いる一本道を行く
 
7:50 大石集落、山裾の集落を幾つか通り抜ける    8:00 この寺の境内で1回目の休憩

 
8:15 岩手集落、この辺は寺社が多い、      8:20 線路をくぐる
岩手集落だけで5箇所 竹中半兵衛ゆかりの地らしい
 
8:39 用水路の脇の道            8:41 頭上注意

    
8:45 菩提休憩所で2回目の休憩、掃除の人にこの先道が    東海自然歩道の新しい指導票、分かりにくい!
 新しく変わったことを聞く                  横向き矢印の上の点は指導票の立つ位置を示す
 
9:25 伊富岐神社                 9:45 立派な家並がつずく

早朝から歩き始めたが関ヶ原の町に入ったのは10時だった。東海自然歩道は関ケ原の町を大きくグルっと回るように作られている。しかし、今日中に松尾山を越えたいし、古戦場跡も訪れてみたい。そこで「最後の決戦地」から東海自然歩道を離れ「開戦地」―「不破の関跡」へと短絡路をとることにした。
 
10:10 ガードをくぐると古戦場跡           10:30 この坂を登ると岡山烽火場

 
10:40 岡山烽火場           烽火場から古戦場跡を見下ろす  ここで景色を眺めながら休憩


11:15 最後の決戦地、           11:30 開戦地 始めた場所から終わった場所まで15分

 
11:30 古戦場にはススキが良く似合う           11:55 東海道線本線(上下線)を見下ろす

 
12:00 中山道沿いを10分間程歩く          12:15 不破の関跡

不破の関跡で自転車旅の若者と話しながら腹ごしらえをし、12時半頃松尾山に向かった。約3時間の間、脇道はない。小早川秀秋何故こんな高い山に陣地を構えたのか考えながら歩いていると道を間違え、10分程往復する。小早川秀昭の怨念かもしれない。
13時半、松尾山山頂。遠くに関ケ原の町が見えるが遠く感じる。しかし、私が1時間できたのだから、小早川秀秋なら30分で戦場に行けるだろう。
松尾山の下山路は関ケ原の反対側で県道に出てからは急ぎ足で歩き、牧田一色のバス停に着いたのは15時半、バスの来る10分前だった。
 
 
12:35 新幹線の下をくぐる         12:40 伊吹山がこんなに近い、昔山頂に立った事を思い出す

 
13:00 松尾山へののぼり        13:40 松尾山山頂、関ケ原を見下ろしながら休憩

 
14:00 松尾山からの下山路             15:30 牧田一色バス停

東海自然歩道を歩いている時、何回かJR東海道線を横切るのに気が付き、数えてみた。
クイズです。 関ケ原付近で東海自然歩道は何回JR東海道線を横切るでしょう?
イ)4回 ロ)6回 ハ)8回  *全て写真に撮って載せてあるので見直して見てください。

関ケ原駅の一つ東京よりは垂井駅である。地図を見ると垂井駅を通る鉄道には東海道本線(上り)と記されており、垂井駅の北側2~3kmの所にある(垂井駅を通らない)線路には東海道本線(下り)と記されている。東海自然歩道と何回も交差するのは主にこの東海道本線(下り)である。この線を走っているのは大垣駅から関ケ原駅に向かう特急列車と貨物列車で、特急列車が走っているのでこちらが本線なのだろう。もちろん垂井駅には下り線も通っている。関ケ原駅から垂井駅・大垣駅に行くのは東海道線本線(上り)だが、垂井駅から関ケ原駅に行くのは垂井線(関ケ原駅から大垣駅付近までの下りの通称)という名前らしい。
歩いている時何回も列車に遭遇したので東海道線本線(下り)の使用頻度は高いようだ。

何故2本あるのか地元の人に聞いてみると、傾斜が急なので2本あるとの事だった。調べてみると、垂井駅の標高は約30m、関ケ原駅は120mで両駅の間隔は5.7kmで平均勾配は16(パーミル・1000分率)、部分的にはもっと勾配が大きくなるだろう。すると重い貨物列車は下り(垂井駅から関ケ原へ)は登る事が出来ない。垂井駅の次の大垣駅の標高は10m程なので、大垣から関ケ原駅まで垂井駅を通らずに大回りして傾斜の緩い山裾に下り線れば、勾配が小さくなり、重い貨物列車も登ることができる。

クイズの正解はハ)8回です。6回と答えた人もいると思うが、実は昨日2回横切っていたのでした。
以下私が歩いたとき東海自然歩道と線路と交差した時間を記す。
1. 10/31 13:12 円興寺の南
2. 10/31 13:46 国分寺跡の西
3. 11/1 8:20 垂井町岩手集落南
4. 11/1 8:41 菩提休憩所北東
5. 11/1 8:45 菩提休憩所前
6. 11/1 10:10 関ヶ原町大高
7. 11/1 11:33 関ヶ原開戦地の南 東海道線本線(上下線) 跨線橋
8. 11/1 12:25 不破の関跡南 東海道新幹線

交差する回数が8回もあり、数えた私も驚いた。
何故多いのだろ? 東海道線本線は上記の理由でこの場所に線路がある。
この付近の東海自然歩道は北から南方向へ向かう池田山麓の道と養老山麓の道の中間の道で、その間は垂井駅付近を通る道とすれば直線になり、スッキリする。しかし、遠回りしても関ケ原古戦場跡を通る道にしたいと垂井から関ケ原へ迂回する道となったのであろう。
垂井から関ケ原へは中山道が通っているが、自然歩道は街道とは違うので、池田山の山麓の道を真似て、山裾に東海自然歩道を作った。そこには東海道線本線があったので、何回も交差する事になった、というのが私の推理である。

15:30 歩行時間8.5時間、距離は22kmの長丁場だったが無事歩き終えた。

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11/2 今日はいよいよ岐阜県の東海自然歩道を歩き終える日である。

昨夜は大垣に泊まり7:40分ごろ関ケ原駅に着き、タクシーを探すがない。
電話するも予約が多く9時過ぎになるとのこと。昨日予約しなかったのが失敗である。昨夜、大垣駅には客待ちのタクシーが沢山あったので、ここもと思ったのがいけなかった。バスもあるが9:05発である。仕方なく駅で待っていると、8時ごろタクシーが来た。予約の僅かな空き時間に私のために来てくれたとの事、感謝である。
関ケ原駅に常駐のタクシーは午前中1台だけという事だった。

8:17 昨日の歩行終了地点、牧田一色から歩き始める。晴れて風もなく清々しい朝、登山日和に思えたのだが。牧田一色から広瀬橋までは藤古川の堤防上の道、高低差が無く見晴らしもよく快適に歩く。
9:30 養老町に入るとすぐに川沿いの道を離れ林道となる。すぐに林道から左に入って養老山の山麓の道に入るはずが左に行く道が無い。休憩を挟んで10:10まで歩き、引き返す。
 
                       8:30 今日は養老山地(正面)の山麓の道を歩く

 
 8:35 藤古川堤防上の道                 9:10 腰掛けるに丁度良い石を見つけ休憩

 
 9:10 堤防には桜が良く似合う          9:20 広瀬橋が近ずく

 
 9:30 広瀬橋を渡る。遠くに養老山地          9:45 林道に入る
 
 
 9:55 快適な林道でどんどん進む             10:00 腰掛けに丁度良い倒木で2回目の休憩

10:23 指導票(写真1)がある。この指導票は行きにも見ている。その時は指導票の正面にきた時に指導票に気が付き、正面(左側)の図を見て「曲がらずに真っ直ぐ」行くのだなと思い、直進して道を間違える事になった。この指導票の左側は大阪から東京に歩く人向け専用、右側は逆方向に歩く人専用の道標のようだ。左に曲がる正しい道(写真4)は草に覆われた山道で他に指導票は見当たらなかった。(余分に歩いた時間45分(休憩含む))
【言い訳】指導票が不備である。来た方向と行く方向の両方に矢印があれば、間違えなかったであろう。昨日伊富岐神社付近にあった指導票(写真2)は両方向に矢印がある。この種類の指導票(写真1,2)が最近多いが、図が分かりにくくいつも立ち止まり考えてしまう。昔の指導票(写真3)は一目で分かった。
   
    写真1        写真2   写真3 昔の指導票も健在 写真4 注意書きはヘビと熊に対する物

10:30 見落とし、いや見誤った指導票から養老山麓の山道に入る。がすぐに沢田集落にでる。また、林道になり、山道になる。
11:25 林道から沢を渡る所(久々美雄彦神社)は沢には橋もなく対岸は山道で指導票も分かりにくい所にあった。(行き過ぎて戻り、余分な時間5分)
11:50 桜井集落付近、沢に出て沢沿いに下る道を行くと、集落に出てしまった。この沢は渡るのが正解だったようだが、指導票も沢を渡る道にも気がつかなかった。来た道を戻ろうとは思ったが、桜井集落から自然歩道に出る道は地図によると複雑そうである。そこで、暫く県道を歩き(約1時間)、分かりやすい所から自然歩道に戻ることにする。(余分な時間0分。道を間違えたが、代わりの県道は登山道を歩くより効率がよいので差し引き0と考えた)
12:45 勢至集落付近から東海自然歩道に復帰。

10:50 養老山麓の道の典型            獣除けの柵がある所も多い

 
11:00 山麓の沢田集落にでるがすぐに山道に戻る       11:05 この倒木に座り3回目の休憩
 
 
11:25 この沢を渡る、道の無い所をここまでくると指導票がある 11:50 間違えて桜井集落に出てしまった。この
                             この土留めで4回目の休憩。善後策を模索する 
 
12:00 しばらく県道沿いを歩く              12:45 東海自然歩道に復帰

12:55 神明神社(千体仏)手前。写真5のような指導票があった。柵の向こう側に指導票があるので近くにある出入口から柵の向こう側に行く。崩れかけた急坂を登ると道が途切れている。あちこちに踏み跡があるが道ではない。ヤマレコアプリでは柵沿い方向に行くようだ。柵沿いに行くと柵の向こう側に神明神社らしき建物がある。柵の出入口を探して神社付近まで行くが出入口が見つからない。諦めて引き返し、柵の出入口から出る。
13:35 写真5の柵に入らずに柵に沿って左に行くのが正しい道だった。(余分な時間40分)
【言い訳】これはどう見ても柵を作った人か指導票を立てた人が悪い。早急に改善してもらいたいものだ。
【お節介】岐阜県の当該部署にこの件をメールした所、早急に善処するとのこと。                     
15:05 養老の滝着。1時間半ほど時間ロスがあったが、明るいうちに目的地に着くことができた。養老神社から養老駅までは地元の人に車で送って頂いた。
指導票には悩まされたが、朝晩は人々の好意に助けられた一日だった。

 
12:55 写真5 柵の向こう側に指導票がある  13:20 柵内の指導票付近には道はあるがその先がない

 
13:45 正しい道に復帰したところで5回目の休憩 14:00 千体仏(神明神社)中央上部に見える柵の向こう側で
                        柵を越せずうろつく
 
14:15 この柵は向こう側へ         14:30 この沢も渡る

 
14:50 養老公園に入る                  15:05 養老の滝、岐阜県の東海自然歩道の
                               終着地点とする

東海自然歩道の養老山麓の道は迷路だった。間違えて時間をロスした所2か所、道を探してウロウロした所3か所、立ち止まり道を確かめた所多数、・・・で何故迷うところが多いのだろうか考察してみた。
東海自然歩道の池田山麓の道は基本的に車道なので間違えなかった。一方、養老山麓の道は登山道と林道である。
登山道は山頂を目指す道なので登り方向か下り方向に向かっているので、水平方向に向かう分かれ道があれば作業道の場合が多いので、指導票が無くても道は分かる。しかし、養老山麓の道は山頂に向かうのではなく水平方向に作られている。また、養老山麓の道は集落に近い所にあるので山仕事のための作業道が多数あり、自然歩道と交差している。大部分の交差地には指導票があるが、無い場合は判断に迷う。さらに、分かれ道を見落とし、道を間違えた場合見落としに気が付くのに時間がかかる。

これでやっと岐阜県の東海自然歩道を歩き終えた。2019年に岐阜県を歩き始めたのだが、三重県に住む親友の願いで三重県を先に歩き(駅から自然歩道の歩行地点まで送迎してもらった)、その後はコロナ渦等で歩行を中断していた。

岐阜県の東海自然歩道は養老の滝から海津市~川原越えまで続く。しかし、私が2019年三重県の東海自然歩道を歩いた際、美濃津屋~川原越え間が通行止めのため養老の滝~養老山~尾根道~川原越え~東林寺と歩いていたので、養老の滝を岐阜県の東海自然歩道の最終地点とした。(注)最近美濃津屋駅から川原越えのルートは廃止され、私が歩いた養老山頂から尾根道で川原越えに至るルートが新しい東海自然歩道のルートになっているようだ。

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