ルーマニア最高峰登頂
モルドヴィヤノMt.Moldoveanu(2544m)
1998年8月6~8日



  ユーラシア・ワンでルーマニアを歩いた折、ルーマニアの最高峰であるカルパチア山脈ファガラス山系
    のモルドヴィヤノ(2544m)に登って来た。ルーマニアの山の情報はすくなかったが、

            現地で同行者がえられ、アルプス的風貌の山を楽しんで来た。
                      (98年アルバトロスに投稿したものに加筆しました)
98年8月6日
 ブカレストから列車で4時間程の町クルテアから約60km離れたファガラス山系のビレア湖にタクシーで向かう。タクシー代は4000円で交渉が成立したが、これでもまだボラれたようで、他のタクシーの運転手と肩をたたいて喜んでいた。
さて、ビレア湖に向けて出発となったが、運転手はルーマニア語で何か言い始める。英語の通訳が必要だと言っているらしく、しぶしぶ同意すると、自分の娘(20歳前後)を同乗させる。親子で楽しそうに話しながら、たまに私に景色も説明をしてくれるが、ガソリン代私もちで家族ドライブを楽しみにきたというのが真相のようだ。途中、一時的に激しい雨が降ったが、目的地ビレア湖(2026m)では雨は上がっていた。しかし、ガスが濃く10m先は見えない。
10時半 歩き始めるが、ビレア湖周辺は観光客も来るので、道が入り乱れ迷う。ルーマニア人の若者5人ずれに声をかけると、私が行くポドラグ小屋まで行くとのことで、同行することになる。リーダーの名前はクリスチャン、大学生3人、高校生2人とのこと。ガスの中を1時間ほど急な登りが続き、カプラ湖(2241m)に着く。この頃からガスが晴れ、周りが見えてくる。山の様子は森林限界以上の日本の山と似ており、北アの白馬岳、北海道の大雪山のような感じである。カプラ湖を過ぎると山腹をまく道となり、雪渓を2回ほど横切るが、登り降りは少ないため距離ははかどる。

 8/6の行程、地図は当時用いたもの、等高線は描かれていない。


 タクシー運転手の娘さん             左からチョラス(大学生)、ドラァガン(高校生)、
                         ビルカ(高校生)モゴス(大学生)
 
     カプラ湖に着くとガスがなくなり、初めて目にしたルーマニアの山は素晴らしかった

 フィンティナ山(2375m)は中腹をまいて行く

14時頃から尾根道となり、遠くが見えてくる。まわりの山はどれも標高2200m~2400mで飛び抜けて高い山がないのが面白い。また、1500m付近より高い所は木が1本もなく、牧場になっているようである。
15時、今日の最高点ミルチイ山(2467m)に到着。明日登るモルドヴィヤノが遥か遠くに見える。

 尾根道になる                  日本の山の風景に似ている


 前の山がミルチイ山(2467m)、今日の最高峰


 目的地モルドヴィヤノが見える、右端の雪のある山

17時、ポドラグ湖畔(2136m)のポドラグ小屋に着く。小屋は三方を岩山で囲まれ、直径300mほどの湖に面した別天地に、ドッシリ腰を据えたように建っている。小屋は2階建てで、50人程泊まれるようだが、ベッドはパイプ製で2段になっているため、上の人が動くと下のベットが動き、音と揺れに一晩中悩まされた。小屋番は英語が出来ないので、水場、トイレの場所、部屋割り等はクリスチャンに教えてもらう。小屋の食事はスープとママガリ(トウモロコシ粉を蒸したもの)しかなく、あとは持参したものを食べる。しかし、同行した5人が色々わけてくれる。食後はおぼつかない英語で名前や住所を交換する。どうも、大学生と高校生は別のパーティーらしい。
ポドラグ小屋では2泊したが、1泊約1,000円、食事代500円で、これは外国人料金で高くなっていると、交渉してくれたクリスチャンが恐縮していた。



 ポドラグ小屋 三方を山で囲まれた別天地                   翌日の朝撮った写真

8月7日
高校生2人は今日下山するとのことで、別行動となる。
8時、出発。30分の急登の後、縦走路に出るとあとは緩い登り降りとなる。しかし、ガスのため周りの山は見えず、歩くだけ。さすがに2日目ともなると疲労もたまり(昨日は海外旅行のための品物全てを背負っていた、今日は空身)若者のペースに遅れ気味となる。最後の急登の後、モルドヴィヤノの前衛の山、ビステア(2527m)に着いたとたんにガスがはれ、360度の視界となる。ビステアとモルドヴィヤノの間は縦走路を外れるためか、両手を使う所もあった.
11時ルーマニア最高峰モルドヴィヤノに登頂する。山頂からは今まで歩いて来た山々、クリスチャン等がこれから向かう山々が見渡せ、30分があっという間に経過する。

 最近手に入るモルドヴィヤノ近辺の地図。等高線、登山道も描かれている。

 
 10時頃、やっとガスが上がってくるが遠くは見えない       ピークは巻いて行く


 10:30 ビステア山頂、快晴となる        ビステアからモルドヴィヤノを見る


 11時 モルドヴィヤノ山頂。クリスチャン(左端)が送ってくれた写真   私が日本人初登頂?


 山頂より、クリスチャン等が向かう山々、まだまだ山が連なる      歩いて来た山々

ビステアまで戻り、さらに縦走を続けるクリスチャン等と別れる。丁度一昼夜、色々気ずかってくれたことに感謝し、ポドラグ小屋への帰路につく。快晴無風、時間的余裕もあり、他のパーティも前後を歩いているので、モルドヴィヤノを振り返り振り返り、異国の単独行をたのしむ。


 若者は先へ進む                 他のパーティ、キャンプサイトは沢山あるようだ


                    ビステアとモルドヴィヤノ(右)は双耳峰の1つの山

 往路はガスだったが帰路モルドヴィヤノが最後まで見送ってくれた   昨日歩いた山々


 ポドラグ湖、小屋は小さく見える                      ポドラグ小屋、この角度だと大きく見える

ルーマニア・アルプスの印象
2000~2500mの山が長さ約60km連なっているのがFAGARAS山系だ。一方、山系の幅は10~20kmと狭く、奥深い感じはしない。しかも山頂近くまで放牧地になっているようで、小屋の周りで羊を見かけたし、山頂から村までは何処からでも簡単(危険な所も無く)に行けそうだ。しかし、白馬や大雪山のように森林限界より上のなだらかな山容と残雪、あちこちにある池、氷河跡もあちこちにあり素晴らしい山々である。
ファガラス山系は容易に高山気分にひたれる素晴らしい山だった。

8月8日
7時半、ポドラグ小屋から最短距離の町ビクトリアを目指して下山開始。
9時頃森林帯に入る。日本の山のアプローチに似て、急な沢豊富な水、原生林からなっており、この中の細い山道を1時間半、林道を1時間半歩く。最後の10kmはヒッチハイクで麓の町ビクトリアには14時頃着く。
途中50才位のおじさんと道ずれになる。何故か会話も無く10mと離れず、3時間ほど一緒に歩く。ただし、私と同じようなザックを使っているのにお尻の辺りで背負っていたので、正しい使い方を身振りで教えてあげた。

 
 下山路から                   いよいよ山ともお別れ

ルーマニア考(3週間旅した感想)
 *酒(ワイン)の飲み方。2通りある。1.水とワインを交互に飲む。2.ワインに水を入れ(半々程度)飲む。
   私も試したが非常に良い。以後私も真似をしている。しかし、日本酒だと2.は?
 *ヒッチハイク 田舎ではルーマニア人も皆やっていた。但しバス代程度の謝礼を払うのが普通。
 *話好き 列車に乗ると英語で話しかけてくる。政治や経済を話題にする人が結構いる。(89年にルーマ
   ニア革命があったから?)しかし、私のその方面の英単語は?なので議論にならない。
 *列車の窓 私は列車に乗ると暑いので窓を開けていた(エアコン無し)。すると、同じコンパートメント
   の人が誰もいなくなる。これが2~3回続きやっと気が付いた。暑くても走っている列車の窓は
   開けない。止まっていても年長者がノオと言ったら開けない。 
 *ルーマニア人女性 10~20代は90%美人。40代は50%。以降は日本人と同じ。
 
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