聖地ムクチナートへ
1992年2月22日~24日


初めての海外トレッキングにネパールのジョムソン街道を選んだ。
現在はジョムソン街道には道路が出来、ムクチナートまで車で行けるらしいが、
1992年当時はポカラから10km程の所までしか道路はなかった。
まずジョムソンからムクチナートまでのトレッキングです。
写真は約30年前の物なので変色しているため補正しています。

                  『・・・』は当時の手記
2/19 夕方カトマンズ空港着。カトマンズ泊。
2/20 バスでポカラへ(8時発ー15時着)。夕方ホテルの中庭で日本人、貝塚氏に会い色々情報を仕入れる。*商品に定価はない。外国人には高く言うので半額~70%に値切る。*ポーターは1日約150Rs(ルピー)。1Rs=3円。アンナプルB.C.は雪が多い。等
2/21 翌日のジョムソン(Jomson)までの飛行機(約7000円)の予約とトレッキングパーミット(10日間で約2000円)をとる。残りの時間は自転車を借りてサイクリング。

 
 ポカラのフェワ湖、左中ほどにアンナプルが写っているのだが       飛行場より、マチャプチャレが?

『2/22 飛行機の出発時刻は7時なので6時に飛行場に行き、手続きは終えるが肝心の飛行機が来ない。何もすることがなく、ブラブラする。9時半やっと飛行機が来てほっとする。9:45出発。翼の下の窓側の席を選んだが大失敗、アンナプルの山々は上に見えるので、翼であまり見えず。
10時 ジョムソン着。少し歩くとクラクラする。まずポリスオフィスに寄り、そこでポーターを頼む。食事なし300Rsと言ったのでそのままOKしたのが失敗、もっと交渉するのだった。周りに10人ほどが見ているのでついOKしてしまった。
11時 食事後歩き始める。広大な河原で歩きやすいが、早く歩くとクラクラする。道が悪い所はポーターが良い道を示してくれる。途中の茶店でチャー(ミルクティー)、ポーターは食事をする。
15時 今日の目的地カグベニ(Kagbeni)着。ポーターの案内で宿をきめる。』

 
 ポカラからジョムソンまでの飛行機           ポーターA氏

 
 カリ・ガンダキ川下流側、中央右の山はダウラギリとツクチェピーク  上流側   カグベニが近くなる

 
 カグベニ村の入口                 今夜の宿

 
 カグベニ村内                   子供の頃の自分を思い出す?終戦時は5才だった。  
                                               

  
                  村外れ、この川を遡るとムスタンに至る

*トラブル
『英国人2人と夕食中にポーターが来て隣に座り、明日も雇われているのだから夕食代を出せという。英国人、宿の主人も加わり話し合う。
私の言い分:1)ジョムソンーーカグベニ間の1日だけのポーターとして雇った。2)食事代は代金に含む。
ポーターの言い分:1)明日も雇われているのだから夕食代も出すべきだ。2)300Rsに食事代は含まない。
一応私の言い分が通ったが、このことを考え、なかなか眠れなかった。
夜考えた事:歩きながらポーターと片言の英語で話したを思い出す。明日以降も自分を雇えと言ったとき、人物は良さそうだが、高い(貝塚氏の言)し、明日のムクチナートは空身で行くのでポーターは不要なので明日以降は未定(no decide)と答えた。また、契約した時は食事なしとしたが、途中の茶店の食事代は親切心で私が払ったのが行き違いの原因かもしれない。
後味が悪いので翌朝宿の主人に通訳してもらい、昨日の夕食代は私が払うが、ポーターとしては雇わないときめる。

2/23 朝ポーターと話し合ったためムクチナートへの出発が遅れる。8時出発(日帰りの荷だけ持って)。
カグベニとムクチナートは標高差が約1000mあるので、ゆっくりと登る。木一本生えていない荒涼とした景色――アメリカの西部かスイスのアルプスの感じである。たまに水牛とトレッカーと地元の人に会う。その内所々雪が出てくる。
11時半 数軒の人家がある。途中のジャルコットと思いもう少しと考える。
12時半 大きな集落に着いたのでムクチナートと思い、昼食を取っている時日本人の片田さんに会う。彼はここがジャルコット( Jharkot 3612m)だと言う。急いで昼食を済ませ出発する。このとき、ザックの中にポットのホットレモンをこぼしてしまう。ザックの中を水で洗った後、手で持って乾かしながら、片田さんと歩く。今日中にカグベニに帰ることは諦めムクチナートに泊まることを決める。
14時 ムクチナート(Muktinath 3798m)着。見学1時間。ヒンズー教のゴンパとチベット仏教のゴンパ(本尊観音菩薩像の台座下の穴に天然ガスによる炎が永遠に燃えている)の建物はたいしたことなし。しかし、木が生えている所まで歩きで(道路無し)1日かかることを考えれば、たいした建物である。
3時頃から頭が痛くなる。高山病にかかったらしい。さらに、雪が降り始める。夜中は頭痛と悪寒がひどくなる。30分おきに水を少し飲むとしばらく具合が良い。
聖地に居るのに体調不良とは日ごろの行いが悪かった?』


* ジョムソンやカグベニは標高2800m程度なので、高山病にかかるとは思わなかったが、後から考えると飛行機を降りてからは2日間ほど高山病だったようだ。のどの渇き、不眠、歩くのが遅い等の症状があった。

 
 すぐに急坂が始まる。カグベニ村がしたになる。             気温が低くなったので完全武装

 
 木が1本も無い、西部劇の世界             あの角を曲がると聖地かな?

 
 途中の茶店、雪が残っている              ムクチナートと間違えたジャルコット

 
 ジャルコット:普通の建物に見えるがチベット仏教の寺院    ヒンズー教の寺院、こちらの方が立派

 
                           今夜の宿(トイレ無し。)

『2/24 7時起床―7:40出発―10時半~11時半カグベニ村―14時半~15時ジョムソン―16時半マルファ着
早朝に雪は止む。新雪が5cm程ある道を歩く。辺り一面の雪景色、もう足跡があるので迷わない。片田さんと2人快調に歩く。いや、犬も1匹ついてくる。途中でピーナッツをあげたのが悪かったのか石で追ってもカグベニまでついて来た。昨日と違ってカグベニまで一面の雪景色、冬山の様だが風もなく穏やかである(ネパールは日本と同じで2月は冬)。カグベニまでに会ったのはトレッカー2組、3人だけ。
カグベニで宿に預けた荷物を受け取るついでにマルファまで(徒歩約5時間)ポーターを頼むが、物別れ。
*宿の言い分:250Rs+食事代、ジョムソンまでなら200Rsで食事なし
*私:マルファまで150Rsで食事なし
私の考え:宿の主人の言う値段は日本の感覚では非常に安く、私にとって払えない金額ではない。しかし、貝塚氏、片田氏の値段と隔たりがある。もし私がこの値段でOKすると今後日本人がポーターを頼むときはこの値段になってしまう可能性がある。通常の2倍の値段では受け入れられない。
*カグベニの村外れでポーターB氏を見つける。ジョムソンまで70Rs+チャー代。ジョムソンでは新しい人C氏をマルファまで60Rsで頼む。』


 
 新雪のムクチナートの朝 左の山はダウラギリIとその直ぐ右はツクチェピーク

 
 中央下部はジャルコット               ジャルコットの城塞跡

 
 この犬も聖地巡礼に来て、帰り道だったのかも     行きは茶色だったが、帰りは真っ白


 
 左端がダウラギリ、高い所には雲が出てきた

 
 午後はカリ・ガンダキ川の河原歩き、5cmほどのアンモナイトの化石を拾う

 
 ポーターB氏                    ポーターC氏、ジョムソンからマルファへの道

聖地ムクチナート:仏教徒とヒンズー教徒にとって、ここは聖地であり春になれば大勢の巡礼者で賑わうらしい。私にとってはジョムソン街道トレッキングの最奥地であるが、荒涼とした大地を苦しい思いをしてたどり着き、帰りは一面の雪景色の中、景色を楽しみながら楽々と歩け、思い出深いものがある。また、寺院の内部の写真は撮れなかったのに、炎の事は今でもなんとなく覚えている。私にとってもムクチナートはやはり聖地と言っていいだろう。歩いてしか行けなかった時代に感謝である。

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