遍路・高知県Ⅰ
兼・海岸線を歩く
2014年3月14日~19日 |
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2013年11月に自転車での四国遍路を始めた。その時は徳島県の1番札所から23番までの寺の巡礼を終わり、徳島県と高知県の県境まで行った。高知県に入ると遍路道は100kmほど海岸線に沿っている。そこで、今回の遍路は海岸線を歩く会との二足のわらじを履いて歩くことにした。わらじをはき慣れないせいか、足のマメに悩まされされた。
日本の海岸線を歩く会:東京都立大学W.V.O.B.会員で構成され、日本の海岸線をリレー形式で歩いて一周しようと2013年に設立された会で私も会員になっている。 2014.3.14 早朝自宅を出発し、徳島空港経由で12時頃徳島、高知県境の水床トンネル手前に着き、国道55号を歩き始める。トンネルを抜けると甲浦(かんのうら)港や集落が見下ろせる。今回の歩行はほとんどこの国道を歩くことになるが、集落があると集落の海側(海の中)に国道を造っている所が多い。今の時代は山を削るより海の中に道を造った方が安上がりなのだろう。 甲浦から1時間ほど歩くと野根の集落を通る。2kmほどの細長い寂れた集落だが皇室献上の野根まんじゅうがあるということで、寄り道することした。やっと探し当て、入り口を「がらがら」と開けると、おばあさんが出てきて私が何も言う前に「うちではばら売りはしていません」と一言。がっくりして店を出ると、すぐ近くに元祖野根まんじゅうなる店がある。本家でも元祖でもいいやと入り口を開けると、またもやおばあさんが「うちではばら売りはしていません」。旅の途中で出来たてを1口食べたかったのに。箱入りは重たくなるので諦める。後日、高知市の土産物屋でも野根まんじゅうを売っていたがしゃくなので買わなかった。 野根を出て1時間ほど歩いたあたりのことである。「ゴロゴロ、ごろごろ」突然海の方から腹に響くような、異様な音が聞こえてきた。空耳かと思ったが大きな音ではないが、確かに聞こえる。地面もかすかに動いているような気がする。地震かと思いしばらく立ち止まったが音は続いている。気持ちが悪いので国道の海側から山側に移ると音は聞こえなくなった。山が海岸線に迫り、海岸線の山を削って国道が続いている辺りのことである。 野根から先ずっと人家はない。16時過ぎまで歩き、疲れてきたがバスは17時過ぎまでないので、ヒッチハイクで宿まで送ってもらうことにする。手を挙げ始めて10台ほどで地元の老人ホームの送迎車が止まってくれた。 その夜宿泊した民宿(徳増)の主人の話では、音が聞こえた付近はゴロゴロの浜といい、海中の岩が丸くなっており、波が高いと波で岩が動き、ゴロゴロ音がするとのこと。国道がない昔、お遍路さんは水際を歩き、死ぬ人も多く、死者が海中から呼んでいると、怖がられたということである。鳴き砂というのは日本のあちこちにあるが、鳴き岩というのは初めて聞いた。 宿の同宿者は一人歩き遍路ばかり5人、皆60才を過ぎ、般若湯が入ると遍路の話で多いに盛り上がった。 ******** 14日海岸線歩行距離:14km 12:00 トンネル手前は徳島県 12:10 トンネルを抜けると高知県に入る 14:50 野根川越しに徳島県方面 14:50室戸岬方面 15:10 30km先に室戸岬が見えている 15:40 ゴロゴロ浜を過ぎた辺り ******** ******** 3/15 宿の主人に昨日歩き終えた地点まで送ってもらい、7:45歩き始める。この日の歩行距離25kmのほぼ中間点に宿があったので、前半は荷を持たないで歩く。晴れてはいるが風は冷たく、山シャツの上に海岸線を歩く会のシャツ、その上に遍路用白衣を着て歩くが、汗もかかずに歩ける。午後から荷を持つようになると荷が肩に食い込み、ペースが少し落ちる。ほとんど左手に海を見ながら国道歩きである。 15時頃、弘法大師空海が若い頃に修行した御蔵洞(みくろど)に着く。洞窟は奥行きが20mはあり、生活するに充分な広さがある。洞内から外をみると空と海が半々に見える。空海の名前の由来となった洞窟内で般若心経を読む。半年ぶりの読経はスムーズに読めなかった。 室戸岬の手前から24番札所、最御崎寺(ほつみさきじ)に向かう参道に入る。標高差165mを30分かけて登り、16時、寺に到着する。山門での礼から始まり40分ほどかけて参拝を終える。半年振りの参拝で、作法を思い出しながらなので時間がかかる。この日の宿は最御崎寺の宿坊なので山を降りる手間はない。土曜日のためか団体客で満室とのことで、大広間を区切った部屋で寝かされた。風呂が広いのと安いわりに(5,000円)食事が良かったのでよしとしよう。 ******** 15日海岸線歩行距離:25km 遍路:24番札所、最御崎寺 6:30 太平洋に面した宿の部屋からのご来光 7:40 昨日の歩行終了地点にて 7:50 人家が無いので堤防もないが、道路は立派である 7:50 8:00 砂浜になる 8:40 8:50 昨日とは違い波が静かなので、しばらく波打際を歩く 8:50 春の穏やかな海 9:30 佐喜浜町、久しぶりに平地があり、人家がある 10:10 佐喜浜町。太平洋、堤防、国道、人家、旧道、人家、山の順に並んでいる。 10:40 昨日の宿、徳増が見える 10:40 中央波の周辺の黒い点はサーファー 10:50 徳増の前の太平洋はサーファーの聖地らしい 11:20 夫婦岩(左端)が大きく見える 11:40 夫婦岩、遠くからは一つの岩に見えた 11:40 室戸岬まであと12kmほど 13:10 室戸岬まであと10km弱、小さな集落が点々とある 14:30 小さな神社で休憩 15:10 御蔵洞(みくろど)、空海の修行の場 15:10 洞内より外を見ると空と海が見える。 15:50 室戸岬灯台、結構高い所にある 16:00 24番札所、最御崎寺で遍路に変身して参拝する。 ******** ******** 3/16 7:20あらためて最御崎寺に手を合わせた後、室戸岬に向かう。 8:30室戸岬。道路が曲がっている先はゴツゴツした岩で、徐々に海中に没している。徳島県から南方向に一直線に歩いてきたが、室戸岬からは北西に向きを変えて歩くことになる。岬を過ぎると人家が増えてきた。そのあたりの道のありようは、車が楽にすれ違える道(旧国道)の両側に人家があり、この道が遍路道になっており、海側の人家のすぐ先に新国道があり、新国道の海側は堤防になっている。この様に海中に堤防と国道を造ったと思われるところが多かった。人家の立ち退き問題を考えると、この方法が一番安上がりであろう。海岸線を歩く会で歩くべき道はもちろん新国道であろう。しかし、遍路の場合は遍路道でよい。どの道を歩くべきか、歩きながら多いに悩んだ。そこで出した答えは、国道と人家一軒隔たった遍路道は国道の歩道である。車の排気ガスを吸わないように人家を間に入れて歩道がある、と勝手に解釈して遍路道を歩くことにした。 9:50 25番札所、津照寺(しんしょうじ)に着く。参拝、読経40分。太子堂への石段が工事中で本堂が太子堂を兼ねていた。津照寺から1時間歩き26番札所金剛頂寺への登り口に着く。そこから海岸線を離れ標高165mの寺まで登る。そう言えば次の27番札所札所も山の上にある。25番は平地にあったが、太子堂は高い所にあった。 11:50~12:30 金剛頂寺参拝。遍路の通常の下山路は山の反対側にあるのだが、海岸線を切れ目なく歩くため来た道を戻り、海岸線に沿って歩く。午後は30分の昼食休憩を挟んでひたすら歩く。16時を過ぎるとさすがに歩く意欲が失せたの16:30で羽根大敷からバスで今夜の宿のある町、奈半利に向かう。 午前中に2つの札所に参拝できたが、海岸線の歩行距離は伸びず20kmだった。 遍路での参拝に要する時間:参拝の仕方に大体の目安はあるが、決まってはいない。私の場合は最低30分、普通は40分かかる。10分で終える人も居る。その時間の違いは納経の仕方だろう。経を読まずに「南大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」と3回唱えて納経の代わりにする人が多い。テレビの遍路の番組でそうだったので、増えたのかもしれない。他の参拝者がいる寺で意味のよく分からない般若心経等の経を、声を出して読むのは勇気がいる。私も初めは恥ずかしかった。また、本堂と太子堂の2か所で納経する習慣も時間のかかる原因である。本堂だけの場合の2倍の時間がかかる。しかし、遍路の目的を考えると、経を読む回数を2倍に増やすために太子堂でも納経すると考えると納得がいく。時間はかかっても遍路の中身が充実していればいいのだ。そう考えると、当時は参拝時間の予定は40分として、40分に納めるようにしてきたのだが、時間を気にせずに参拝していたら違う景色が見えたのかもしれない。般若心経は何回も読んでいるのだが、未だに暗記できない。 ******* 16日海岸線歩行距離:20km 遍路:25番札所、津照寺 26番札所、金剛頂寺 7:30 最御崎寺にもう1度参拝して出発 8:00室戸岬。今日も良い天気だ。 8:10 室戸岬の一画 9:00 岬の西側の集落は東側に比べ大きい 10:00 25番札所、津照寺(しんしょうじ) 10:00 太子堂は階段の上 11:50 次の26番札所はあの半島の上 11:40 右上は室戸岬、あそこから朝歩き始めた。 11:50 26番札所、金剛頂寺山門 11:50 本堂、この寺も165mの山の上にある 13:00 海岸に戻り、歩く。行当岬付近 15:10 吉良川町の古い町並み 15:20 吉良川町 16:30 羽根大敷、バス停前の神社 遍路・高知県Ⅱ へ行く 遍路総集編 へ行く トップページ へ戻る |