身延山で思親山を思う
2026年1月10日


身延山山頂にある思親閣              身延山山頂展望所

身延山を知ったのは10年程前に東海自然歩道を歩いている際、山梨県にある思親山(ししんざん)1031mに登った時である。以下当時書いた文を再掲する。
「6時間半、思親山にお世話になる。10時に山頂、富士山は春霞にかすんでいた。下山道が長かったので、なぜこの山の名前が思親山「親を思う山」なのか、考えながら歩いた。山は南北に長くなだらかで全山、杉の植林地である。この山の持ち主は親やその親が植えた杉のおかげで生活できる。杉を見るたびに親に感謝し親を思い出し、山にこの名前を付けた。まあ、そんなところだろうと想像した。この日は快晴で日向は暑かったが、杉の下は10度程気温が低い感じで、私も杉を植えた人に感謝しながら歩いた。
後日調べた所「日蓮聖人が身延山で修行した折、この山越しに故郷房州方面をみて、父母を偲んだという伝説から思親山になった。」と、なっていた。

2025年10月末、娘と家内とで身延山を表参道から歩いて登った。日蓮聖人が拝んだ場所から昔歩いた思親山を見る事も、その身延山を親子で登るのも何かの縁であろう。そろそろ山を終わりにしようかと考えている私だが、親子登山も最後かもしれない。身延山は山頂までロープウエイが架かっているので帰路は歩かなくてすむので、表参道を歩く事にした。前日までの天気予報は晴れだったが歩き始めるとポツリ、ポツリときた。晴れの予報だったので雨具は車に置いてきた。本降りになる前に山頂の展望台に着き、思親山方向を見るがガスがかかり思親山は見えなかった。私の娘は隣にいるし、私の親はもういないので思親山を見る必要はないと聖人様は判断されたのだろうか。

生憎身延山から思親山は見えなかったが、今回改めて身延山の位置を知ると思親山の先に房州があるとは思えなくなった。地図を見ると房州は身延山から富士山方向にあり、思親山の方向とは45度ほどずれている。
地図もない昔でも日蓮聖人がこんな間違いをするはずはないであろう。
日蓮聖人が身延山から故郷の父母や恩師に向かって、手を合わせたのは事実のようだ。きっと正しい方向に手を合わせたのだろう。しかし、日蓮聖人が思親山という名前が付いたとも、聖人が生きている間に思親山という呼ばれるようになったとも、考えにくい。

今回身延山山頂に行って分かった事だが、日蓮聖人没後すぐに身延山山頂に奥の院思親閣が創建され、信者が多数お参りするようになった。私が登頂した日も小雨模様の平日なのに参拝者が絶えなかった。
以下は私の妄想である。日蓮聖人没後思親閣に参拝した信者達が展望所にやって来た。「日蓮聖人が手を合わせた房州はどっちだい?」「あっちだろう」「あっちには富士のお山があるからこっちじゃないか」「こっちの山の向こうに房州があると思う」「こっちの山の名前は?」「名前は無いようだ」「では名前を付けよう」「親思いの聖人様と思親閣にあやかって思親山はどうだい」と名前のない平凡な山に思親山という立派な名前が付いたとさ。  

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